おはようございます、DJ森雄一です。2月最初の月曜日、「逃げる」2月のスタートです。
逃げると聞いてイヤなことを思い出す人もいるでしょう。私も、プライベートでも仕事でも
「逃げた」実績はあります。たくさんではなくても、本当にその場からとか、気持ちがとか、
逃げたことは忘れられないものかなと思います。
「逃がす」は「逃げる」と全然意味合いが異なりますが、「逃げる」が自分を守ることで
あるのに対し、「逃がす」は何かを守る行動にもなります。結果、それが自分にとっての
プラスになるものかもしれませんが、その場の平和を維持するためにあえて「逃がす」ことが
有効になる場合だってあるでしょう。
つい先日、「約束のネバーランド」のコミックを読了しました。全20巻。いやあ本当に
面白かった。第1巻の数ページは幸せ気分そのもの。とあることを目撃した後の19巻+αは
断崖絶壁からのジェットコースター。その先にレールはないのではという絶望感を感じつつ
それでも前進する主人公たちの行動力や愛。20巻の最後30ページくらいは涙がぽろぽろ。
作者の白井カイウさん、作画の出水ぽすかさん、すげえ感動しましたよ。ありがとうの
気持ちでいっぱいです。作品の中で「逃がす」ことがたびたび出てきました。ざっくり
言うと、人間と鬼の戦い。鬼は人間を食べ、人間は食べられる人間を作る。過去の約束から
ずっとそれを守り続けている。食用児たちの脱出劇は常に綱渡りで、斬新な逃亡劇に興奮し、
応援し、涙しました。
ここまでタイピングして、何でこれを引き合いに出したんだろうとちょっと迷いました。
そうそう、最近、原作が絡む社会的事件が連続したので記したのです。京アニ放火殺人事件、
「セクシー田中さん」の一件、いずれも原作がクローズアップされ、かたやアイディアが
奪われた、かたや原作を改編されたと、オリジナルの重要性が損なわれる事態。人は想像
できる生き物、妄想し、オリジナルの世界を作ることができます。それを通した結果、
なぜかその世界が歪められてしまう。何とも悲しい事態です。創作物って絶対みんなやってる。
ポエム、日記、エッセイ、俳句、作文、ね、一つや二つじゃないですよね。それを、誰かに
見られて勝手に作り変えられたらどう思う?って話ですよね。一番大切なのは、オリジナル、
ではないかな。映像がオリジナルだったり、小説がオリジナルだったり、元になっている
ものを勝手に改編するのはおかしいでしょ、って話。もっと作家陣が守られる環境が整備
されるよう祈ってます。で、「約束のネバーランド」は、アニメ化&実写化され、アニメは
第2期後半が怒涛の大短縮。改編箇所多数。いきさつまでは調べてないけど、私は実写を見て
次にアニメとマンガをほぼ同時進行で視聴。なんかモヤモヤしたのですよ。あなたもいかが?
一緒にもやもやしませんか?
さて、スタッカートマンデー。今日も跳ねる曲をお送りします。
9時台のコーナー、今日の出来事+今週の予定、今日の花言葉
10時台、週末のスポーツ、モーリーの街歩き(東京TOZAN編)
11時台、メール紹介、ラジオプラネタリウム
という感じでいつも通りお送りします。音楽の世界でもオリジナルがあってカバーがあってと
この関係はどんな業界でもありえますよね。建築の世界、政治の世界、料理の世界、マネは
成長のために必要なこと。でもパクリはいけない。で、結局、何が正解なんだろう。私も
分かりません。でも、ルールは守りましょうって話ですね。そんな堅苦しいことはラジオ向き
じゃないかな。もしあなたも原作やオリジナルについてご意見がありましたらメールを
お送りください。SNSは残ってしまうのでメールがいいと思います。こちらでプリントしても
必ず捨てますから。ym@ottava.jp